早朝出勤をすると会社からの評価が上がるかどうかの考察

早朝出勤をすると会社からの評価が上がるかどうかの考察

同僚や上司よりも朝早く出勤することについてここでは考えてみたい。筆者の場合、早朝出勤をすることで会社からの覚えをよくしたいという思いがあった。

 

これはとある本を読んでいて、

 

「早朝出勤しよう!そうすれば会社の上司たちから目をかけてもらいやすくなる。他部署の人たちともコネクションが出来ることもある。早朝出勤は良い事尽くし!」

 

みたいな趣旨のことが書かれていて、筆者はそれを真に受けて、実際に過去に複数の会社で早朝出勤を実施してみたのだ。

 

それでその効能について結論から言えば、早朝出勤というのはほとんど効果が無かったと思う。

 

早朝出勤によって真面目な社員だという印象を上司には与えられただろう。昭和的な、あるいは社畜的な働き方が賞賛されるような社風の会社であれば、早朝出勤を率先してやるような動きは正しいはずである。
(完全に余談だけれど、社畜という言葉はある種の中高年のサラリーマンは毛嫌いする言葉のようである。自分の仕事に誇りを持っている人に社畜という言葉を嫌う傾向がある。おそらく、社畜という言葉を是認してしまうと、自らのサラリーマンとしてのアイデンティティの危機に陥るのであろう。会社ではなく、仕事に対して自分の人生を捧げてきたのだという自負や信念が崩壊してしまうのである。いやはや、会社員の人たちとの会話というのは気をつけなければならないことが多い。面倒くさいものだ。筆者も含めて社畜は社畜じゃないかと思うが。)

 

現代社会というのはコミュニケーションが複雑化しており、早朝出勤を続けたからと言って、それだけで人物評価が上がる訳ではないのである。

 

とくに、若年層に目立つ傾向だが、社畜的な行動を毛嫌いする風潮もある。労働者は時間を切り売りしているわけで、朝の出勤前の時間にわざわざ早く来て仕事するなんて訳が分からないことらしい。

 

同僚や部下達にとってみれば、朝早く来る社員がほかにいなければ特別に朝早く来ることもなかったが、早朝出勤をやり出す社員が増えることでそういう空気が醸成されてしまい、本来早朝出勤に不本意であった人間がそのとばっちりを受けるみたいに考える人がいてもおかしくない。

 

これは休日出勤についても言えることで、成績の悪い営業マンが無給で休日出勤をして取れない分を取り返す!みたいな行動も同僚から注意されることがある。そういう行動が社内で一般化されると他の社員も右にならえ的に、営業成績の悪いときは休日出勤して挽回する!という空気が生まれてしまうのを危惧するためだ。

 

まさに日本人的な心性から来る組織内においての自浄作用とでも言うべきものだろうか。日系企業においては、組織が集団として何をヨシとし、何を志向しているのかを検討した上で、個人としての動きを実施していく必要がある。そうしなければ日本的なムラ組織で排除されるわけである。

 

上司も早朝出勤を好む人ばかりではない。糞真面目な部下よりは、多少勤怠が悪かったとしても、コミュニケーションスキルに長じていて、要領よく、社内の人間とまんべんなく付き合えるような部下を好むこともある。

 

それから、これが大事なポイントなのだが、早朝出勤を欠かさずやったからといって、早く来た時間に仕事をきちんとやっているかどうかが大切なのだ。もっと言えば、成果につながる行動をしていたかどうかが大事である。

 

単に早朝出勤をしているだけで、何もせずにネットサーフィンなどしていたら、そういうのは仕事の成果につながらない。厳しい上司というのは最終的な仕事の成果までチェックしているものである。

 

色々書いて来たが、結局のところ、早朝出勤にはそれほど期待以上の効果は無さそうだというのが筆者の見解である。下手すると何の評価も得ずに、タダ働きになってしまうだろう。家で30分でも多く寝ていた方が得というわけである。

 

会社によっては、いまだに通常の出社時間の30〜1時間前にほとんどの社員が既に出社してタダ働きするのが慣習化しているようなところもある。そういう会社において、出社時間ギリギリに毎朝来るような態度を取り続けると、よほど心臓の強い人か、鈍感な人でなければ、会社の周囲の同調圧力に負けてしまうことになるだろう。

 

といっても、日本以外の外資系企業においては、時間外にはタダ働きなどしないというのが原則だ。決められた労働時間内にいかに効率よく業務を終わらせるかということを、諸外国のビジネスパーソンたちは真剣に考えている。

 

日系企業で早朝出勤がかつてほど賞賛されなくなったり、場合によっては煙たがられたりするのは、日系企業がグローバルスタンダードに移行していく際の特異な現象なのかもしれない。

 

実に難しい、厄介な時代を生きていかなければならないのだなと改めて思う。