タイの工場勤務に向いてる人、向いてない人

タイの工場勤務に向いてる人、向いてない人

工場勤務と言って、何を一番に思い浮かべるだろうか。黙々とライン作業に精を出す作業者の姿だろうか。筆者も工場勤務をする前は割と単純に、「黙々と作業するのが工場の仕事」と思っていた。そういう一面も無いわけではないが、工場の仕事はかなり幅広い。

 

ここではタイのアユタヤの精密プレス部品工場と、チャチュンサオの射出成形工場で営業職として勤務した経験をもとに、工場勤務に向いている人と、向いていない人についての考察を行なってみたい。

 

ちなみに、筆者は「工場勤務に向いていない人」だと自覚している。

 

工場勤務はサボるとすぐにバレる!

タイの工場勤務に向いてる人、向いてない人

 

これは内勤全般の仕事にも共通することだが、工場で働いていると周囲の人々(上司、同僚、部下)に自分の働きぶりというのが手に取るように分かってしまうということだ。

 

何しろ工場である。勤務時間中は用事があるとかでない限り、許可を得なければ工場の外には一歩も出られない。昼飯でさえも工場内に食堂が完備されていれば、それこそ1日中工場にいなければならない。

 

そういう閉鎖空間の中で働くことに耐えられるか? そこが工場勤務を長く続けられるかどうかの試金石になるだろう。

 

工場でサボるとしても、パソコンを使ってネットサーフィンをするぐらいが関の山である。これすらも、自分のデスクの位置によっては、後ろに座っている人から何のサイトを閲覧しているかなども分かってしまうので注意しなければならない。また、会社によっては自分のパソコンのログもチェックされているだろうから、そうなればいよいよ工場内でサボるのは難しくなるというわけだ。

 

エクセルを使った数字の管理、資料の作成などは必須

 

工場といえども、機械を相手にするだけの人もいるかもしれない。それだったらエクセルは不要だろう。だが、営業職として入社した場合、エクセルは使いこなせなければならない。もっといえば、数字を操るのが苦手な人よりは得意な人のほうが向いている。

 

エクセルを使って作成した表(場合によってはパワーポイントでプレゼンすることもある)を用いて、社内の会議で報告をしなければならないケースもある。

 

社内会議が多い

 

とにかく無駄な会議が多い。

 

一つのことを決めるのにも、関係者を集めて、皆で話し合って決めるというプロセスが必要であるということ。

 

これはチームプレーを苦手としていて、「一人で仕事は完結させたい」と思っている人には向いていないことだ。筆者などは「チームプレーなど糞食らえだ。プレーヤーで誰にも邪魔されずに仕事の成果をあげたい!」という気持ちが強いので、工場の仕事には適性が無いのだとよくわかった。

 

会議の必要性は頭では理解している。だが、退屈な会議に無理矢理参加させられて、会議中は居眠りも出来ないのは相当しんどいことだ。(会議のときに居眠りするというのはしょっちゅうやってしまっていた。上司に見つかればこっぴどく怒られもしたし、そのときは平謝りに謝って誤摩化したが、内心、“こんなくだらねえ会議、開くことが自体が時間の無駄じゃねえか。”と思っていた。)

 

会議が開かれている間は発言をしなかったとしても、メモを取るなどして少なくとも、「会議に積極的に参加しているフリ」だけはしなければならない。そういうパフォーマンスをしなくてはいけないのが本当に面倒くさい。

 

チャチュンサオの工場では、月間報告の会議が月1度あって、その会議に出席するのはいつも気が重かった。午前10時から会議が開始されて、昼の休憩を挟んで終わるのが午後の3時、4時だ。その会議の間、他の部署の代表が発表していくのをただただ黙って聞いていなくてならない。

 

こういうのを「かったるいなあ、バカバカしい!」と皮膚感覚で思ってしまう人は工場には向いていないだろう。

 

工場から支給される制服を何とも思わずに着用できるかどうか

 

工場では営業職であっても制服を着用しなければならないことがある。

 

制服については、アユタヤの工場では支給されたが、チャチュンサオの工場では支給されなかった。チャチュンサオではスーツで勤務ということになっていた。

 

工場の制服についてだが、これはモノ作りのメーカーに勤めている人にとっては、自らのアイデンティティーの証みたいなところがあるのか、嬉々として制服に身を包んでいるような人をよく見かける。

 

筆者のようなタイプの人間であると、「何で皆と同じ服装をしなければいけないのか?これじゃ制服着用が義務になっていた学校時代と同じだな」などと考えてしまう。

 

制服そのものに対する心理的な抵抗感が強い。制服というと、個性を圧殺して全体主義を助長するような、おぞましい感覚が沸き起こるのである。

 

じゃあ、スーツはどうか?といったら、スーツでさえ同じような側面も無い訳ではない。会社に所属しているビジネスマンだったらスーツを着ていて当たり前、私服勤務可の会社でない限りスーツの着用は不可避だろう。ただ、スーツだったらまだ個人の選択の余地があるからいいのである。
工場の制服を着ることで、組織の中の歯車になってしまったという感覚が嫌なのである。会社員は余計なことは考えなくていい、工場の中で性能の良い構成部品の一つであってくれればいい、制服を着ていると経営陣からのそんな声が聞えて来そうな気がするのだ。

 

自由人タイプには工場勤務は向いていない

タイの工場勤務に向いてる人、向いてない人

 

以上見て来たように、自由な考え方をもったタイプの人は出来るだけ工場勤務は避けた方がいいと思われる。

 

上には書かなかったが、たとえば「工場内でズボンのポケットに手を入れていると注意される」ようなことに対しても、違和感や反感を覚えるような人だったらやはり工場は向いていない。

 

反対に、組織の論理に忠実で、批判精神を抱かず、上から言われたことに絶対服従できるようなタイプなら工場でもやっていけるし、工場のような空間を居心地が良いと思えるだろう。

 

工場のような場所で自由に振る舞うのは大変なことだ。仮に仕事が誰よりも抜群に出来たとしても、日系企業には年功序列の会社がまだまだ多く、体育会系の風土というのは根強い。個性を押し出す自由人ではいられない。

 

工場の上司達はそういったサラリーマンらしからぬ自由人っぽい振る舞いをヨシとせず、全力で潰しにかかり、矯正を試みてくるだろう。