工場には喫煙所でのコミュニケーションがある

工場には喫煙所でのコミュニケーションがある

今までの筆者のタイでの就労、そして日本の工場で勤務した過去を振り返ると、工場には喫煙所でほかの従業員とコミュニケーションをとるという文化がどこにもあった。

 

筆者が喫煙者であったときはそれ程気になることではなかった。何しろ、自分もタバコを吸うのだから、喫煙者として仕事時間中であってもいつでもタバコを吸えるような環境の方が良いに決まっている。

 

しかし、筆者は禁煙をして、それを1年ばかり続けている。タバコをやめてみると、工場での喫煙所のコミュニケーションがうっとおしくてたまらなくなってくる。

 

工場ではとくに喫煙者は多いようだ。現場の職人もそうだし、管理や技術の人間も割とよくタバコを吸う人が多い。喫煙所に寄り集まってどんな話をしているかというと、やはり、世間話やら、他人の悪口、噂話などであった。

 

工場で仕事をする場合、この喫煙所でのコミュニケーションは決して疎かにするべきではないと思っている。中にはタバコを吸わないのに喫煙所にやってきて、ほかの従業員と話をしている人さえいた。

 

工場というのは一見して、機械やモノ相手の仕事で、人とのコミュニケーションは無視できるかといえばそうではないのだ。むしろ普段、機械相手の仕事をしているからより一層、喫煙所でコミュニケーションが活発になるのかもしれない。

 

そして、工場という場所は管理や監視の目が普段から厳しいところだ。だからこそ、喫煙所で肩の力を抜いて一緒に働く仲間と腹を割った話をしたいということなのかもしれない。

 

そんなわけで、私は喫煙所でのコミュニケーションの大切さを十分に承知していたのにも関わらず、直近で働いていた工場では、休憩中に喫煙所に行くことは殆どなかった。

 

理由は自分が非喫煙者だったからということが一番大きい。タバコを吸わなくなってみると、喫煙所に行ってもタバコの臭いがたまらなく嫌になるものだ。なおかつ、タバコを吸わずに喫煙所にいて、誰かと世間話をするといっても、間をもたせる小道具を何も持ち合わせていないことになる。

 

そして、タバコを吸わないから、必然的にその場に居る理由を作るために、誰かに自分から話しかけねばならないが、そのこと自体が大変億劫になってしまった。喫煙者であれば、喫煙所で他人の会話に参加する勇気がなくても、ただ黙って煙草を吸っていればいいのであるが、非喫煙者ともなれば、喫煙所でのコミュニケーションに参加せざるをえない。
以上のような心の内部での葛藤があって、結局、喫煙所に行くことは面倒くさくなって、休み時間は自分ひとりで過ごすようになった。

 

とはいえ、新しい工場に入って、その場所に馴染むことを最優先に考えたときには、タバコを吸わなかったとしても、喫煙所でのコミュニケーションは疎かにすべきではないと考える。

 

そのときに、やめていたタバコを再開してまで喫煙所に赴くか、あるいはタバコを吸わないのにも関わらず世間話をして仲間を増やすために我慢して喫煙所に行くか、これは工場での労働を続けていく上で中々厄介な問題だ。良い悪いの話ではなくて、現実問題として、工場の多くで喫煙所で職場の同僚とコミュニケーションを行なう文化が存在するということだ。